文学部横断型人文学プログラム

横断型人文学プログラム

ジャパノロジー・コース

多様性の日本民俗文化

 千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館の研究部教授松尾恒一先生による講義です。

 民間に伝承されている風俗や習慣が、歴史や自然、社会と深く関わっていることを、様々な例を通して見ていきました。

 民俗文化の代表格ともいえる祭りについては、日本の新嘗祭(宮中で行われる稲の収穫祭)をはじめ、バリ島のケチャ、スイスのレッチェンタールの仮面謝肉祭の様子を映像で確認しました。

 日本の民俗文化の形成には、仏教、キリスト教の伝来が大きく関与しています。

 仏教の布教者であった琵琶法師が『平家物語』を語るようになった経緯(盲目の彼らが捨てられた鴨川の河原は、平家の残党の処刑場だった)や、隠れキリシタンの葬式方法(お坊さんにあげさせた経を取り消す呪文を唱えたあとで、本当の――キリスト教式の――葬儀を行う)等、両宗教にまつわる興味深いお話の数々を伺うことができました。

ヨーロッパとNIPPON

① イントロダクション

 コーディネーターでいらっしゃる、ドイツ文学科のドゥッペル・メヒティルド先生による講義でした。

 どこの国でも、「日本」は“NIPPON”(ローマ字表記)で通じます。
 ヨーロッパから見たNIPPONとは?
 ヨーロッパ人の日本人に対するイメージとは?
 ヨーロッパはNIPPONの何を受容したのか?

 第1回目は、ドイツ人の学生向けにつくられた、日本と韓国の歴史についてのビデオを観賞しながら、上記の問題を考えていきました。

 ビデオのなかでは、日本がかつて韓国にたいして行った侵略の歴史について詳しい説明がされる一方で、文化については、両国の文化が区別されずに語られるばかりか、中国の文化までが混ぜられて紹介されています。

 ヨーロッパにおいて、日本と韓国の文化は、中国の文化で一括りにされる傾向があるという先生のご説明がありました。

② ドイツにおける日本学

 明治大学の辻朋季先生による講義でした。

 日独交流の歴史や、ドイツにおける日本学研究の礎が築かれるまでの過程について見ていきました。

 鎖国前には個人で来日したドイツ人も居ましたが、鎖国後は、ドイツ人が来日するためには、オランダ東インド会社の社員になることが必須の条件になります。

 あの「シーボルト事件」で有名なシーボルトも、東インド会社が経営するオランダ商館付の医師でした。

 ドイツで初めて日本学科を設立した大学はハンブルク大学でしたが、その前身は、ドイツの植民地改革の一環として設立された研究機関、ハンブルク植民地研究所の日本学部門であったという事実には驚きです。

③ 課外授業(国立西洋美術館見学)

 5月らしい陽気のなか、上野の国立西洋美術館へ、『林忠正――ジャポニスムを支えたパリの美術商――』展を観にいきました。

 林忠正(1853-1906)は、1878年のパリ万国博覧会の際に通訳として渡仏したあと、そのままパリに留まって、美術商となりました。1900年のパリ万博の際には、明治政府から、民間初の事務官長に任じられます。

 展示室のなかには、万博関連の貴重な資料は勿論のこと、フランスをはじめとする各国の美術商、芸術家、美術コレクターが忠正に宛てたおびただしい数の書簡が……

 明治になって、日本がようやく他国と積極的に交流するようになったばかりのときに、日本人がたったひとりで、ここまで交流の輪を広げたことに感銘を受けました。

④ フランスにおけるパリ万博とジャポニスム

 跡見学園女子大学の寺本敬子先生による講義でした。

 「ジャポニスム」というフランス語は、フランスでどのように生まれたのでしょうか。誕生の背景について見ていきました。

 1867年の第2回パリ万国博覧会で、日本ははじめて、万博へ正式参加します。

 日本(大政奉還前夜の徳川幕府)と琉球公国(薩摩藩)が出品した日本の工芸品は、フランス・ジャーナリズムによって高く評価されました。

 この万博がきっかけとなって、フランスでは、日本工芸の探求がはじまります。そして、1877年版の『19世紀ラルース大辞典』にはついに、「日本の器物(陶磁器)に見られる装飾の研究」の意味で、「ジャポニスム」の項目が登場するのです。この日本工芸の受容の背景には、フランスにおいて生産の拡大にともなう安価で質の低い産業製品を問題視し、芸術性を取り入れた「産業芸術」の生産を振興する動きがありました。

 このように、日本に学ぶという姿勢から誕生した「ジャポニスム」でしたが、1890年版の『19世紀ラルース大辞典』では、「ジャポニスム」は、「日本から渡来するものへの偏愛」と、批判的なニュアンスを込めて定義し直されます。

 実際、1878年パリ万博に展示されたフランス工芸は、当時の批評家から、日本工芸の貧弱な模倣品に陥っていると批判され、「自然」から学ぶことでフランス独自の産業芸術を探求するよう提唱されました。

 「ジャポニスム」誕生のきっかけはパリ万博であったこと、この語の意味の移り変わりには、フランス産業芸術の振興および日本工芸の受容の歴史が反映されていることを学んだ時間でした。

⑤ グループ発表(第1回)

 受講生によるプレゼンテーション。ヨーロッパと日本の文化の比較という観点から、食、建築、演劇、音楽、宗教、言語等をテーマに、各グループが発表を行いました。

 ある国の文化は、別の国に伝わることで変容するものです。寿司とカリフォルニアロールを例に挙げると、変容する前の文化(寿司)が「本物」で、変容したあとの文化(カリフォルニアロール)は「偽物」だと、私たちは無意識の裡に考えてしまいがちですが、その認識は果たして正しいのでしょうか。

⑥ ドイツ語圏におけるジャポニスムとその日本への還流

 京都国立近代美術館の池田祐子先生による講義でした。

 第1週目は、「ウイーン分離派のジャポニスムと日本の創作版画運動」をテーマにお話しいただきました。

 19世紀末に生まれたオーストリアのウイーン分離派(芸術の自由を求めて、既存の美術団体を離れた芸術家が結成した組織)は、日本の浮世絵を手本に、家でも楽しめる芸術としての木版画(版画は当時、政府公認の芸術ではなかった)の復興に努めました。

 こうした動きに触発されたように、日本でも、芸術作品としての版画を追求する動きが活発になり、版画の全工程をひとりで手掛ける自画自刻の個人版画家が登場してきます。

 第2週目は、バウハウスについてのお話でした。

 バウハウスとは、ドイツのヴァイマールに1919年に創設された総合芸術学校の名称です。「バウ」は、ドイツ語で「建築」を意味します。バウハウスは、あらゆる造形芸術の最終目標は建築であるという理念のもと、独自のカリキュラムによって、優れた芸術家を養成しました。

 バウハウス・デッサウ校舎の障子を模したような外観が示すように、バウハウスが目指した機能美、簡素さには、日本の美意識が反映されています。

 バウハウスのデザイン理論は、バウハウスで学んだ日本人たちなどによって今度は日本に伝えられ、日本の造形芸術に多くの影響を及ぼしたそうです。

 文化と文化は、互いに影響し合いながら育まれていくものだということを実感できました。

⑦ 現在のNIPPONのイメージ

 コーディネーターのドゥッペル・メヒティルド先生による講義でした。

 前回までの講義ではずっと、ヨーロッパとNIPPONの過去の交流について見てきましたが、今回注目するのは「過去」ではなく、「現在」。

 ドイツ人が作った日本の紹介ビデオを観ながら、現在のNIPPONがどのようなイメージをもたれているのかを、皆で考えていきました。

 どうやら、最近のNIPPONのイメージは、クール・ジャパンを意識した一辺倒なものになっているようです。

⑧ グループ発表(第2回)

 受講生による、第1回目の内容をさらに発展させたプレゼンテーション。文化は変容していくものという認識した結果でしょうか。全体的に、第1回目のときより分析が客観的で、充実した発表でした。

⑨ まとめ

 コーディネーターのドゥッペル・メヒティルド先生による講義でした。

 これまでの講義の感想を出し合ったあと、クール・ジャパンに代表される日本のイメージ戦略について活発な議論が交わされました。

 海外の日本食屋に職人が行くテレビ番組などに見られる日本の売り出し方は誇りではなく、不寛容さの表れであるという意見や、ステレオタイプを発信する日本政府のやり方は批判されがちだけれど、桜や富士山がきっかけで対話が生まれることもあるため、PRとしては有効なのではないか等の意見が聞かれました。

 そもそも、イメージは、変わる必要があるものなのか、といった疑問も飛び出しました。

ジャパノロジー概論

 「ジャパノロジー(直訳:日本学)概論」では、<日本>を内と外の両方から見つめ、「クール・ジャパン」に代表されるステレオタイプのイメージでは捉えきれない多様性をもった<日本>の発見を目指します。

内からの視座① 歴史学・民族学から捉える

 最初の3回は史学科の北條勝貴先生による講義でした。全体的なテーマは「<日本>を壊す」。日本固有のものと思われがちな礼儀の概念が実は中国の儒教の言葉であることや、その一方で、開国後の日本が中国文化から脱却し欧米列強と肩を並べる手段としての植民地支配を正当化するために古代神話に依拠したという事実(稲作のできる場所はすべて「豊葦原瑞穂の国」という考え方)、さらに、そうした神話に基づく近代国家樹立の過程の中で淘汰されていった「やまびと」に関する記録等から浮かび上がってきたのは、<日本>の曖昧さ、でした。

内からの視座② 宗教・思想・哲学から捉える

 哲学科の大橋容一郎先生による講義でした。明治6年に創設され、2年で解散した同人「明六社」のメンバー(森有礼、西村茂樹、津田真道、西周、中村正直、加藤弘之、福澤諭吉ら)が当時抱いていた<日本>への危惧や、彼らが提唱する近代化の方法(中国由来の思想を打破し、人心を変革する)についてのお話がありました。自由主義を謳っていたメンバーの多くが後に国家主義に転向していった、という事実は興味深かったです。

内からの視座③ 国立歴史民俗博物館見学会

 ついに講義は四谷キャンパスを飛び出し、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(愛称:歴博)へ。同館の研究部教授松尾恒一先生から詳しい説明を伺いながらの贅沢な見学会でした。名称のとおり民族(異文化理解)ではなく民俗(自文化理解)をコンセプトとした館内は、日本の庶民の生活の歴史に溢れていました。繭や穀物をネズミから護る「イエネコ」は、なんと弥生時代からいたそうです。

外からの視座① アジアから捉える

 国文学科の長尾直茂先生による講義でした。ひとつの文化が伝播し、現地の文化と接触しながら変容していく例として、日本における三国志演義受容の歴史についてお話しいただきました。正史『三国志』よりも通俗小説『演義』で語られる登場人物(関羽等)のイメージが人口に膾炙するようになった経緯について学ぶことができた貴重な時間でした。

外からの視座② ヨーロッパから捉える

 ドイツ文学科のドゥッペル先生による美しい日本語での講義でした。テーマは「ドイツにおける日本学の成立と発展」。最初のドイツ人日本学者ケンペル(17世紀に来日)やシーボルト(19世紀に2度来日)が自国にもたらした影響、19世紀末からのドイツにおける日本研究の組織化、ナチス政権時代の両国間の交流、戦後の日本学までの一連の流れを辿りました。日本学の研究対象が文学、人文学から社会学へと移行し、文学は現在2、3つの大学でしか研究されていないことや、2000年以降2つの日本学科が閉鎖された(関心は中国へ)という衰退の現実も知りました。

特論① メディアから捉える

 新聞学科の碓井広義先生による講義でした。「映画監督実相寺昭雄氏の世界」というテーマで、氏の作品に見られる独特の映像美(広角レンズを用いた実相寺カット)や、込められたメッセージ性についてお話しいただきました。文明を破壊する悪の存在として描かれない『ウルトラマン』シリーズの怪獣たちや、『怪奇大作戦』の「京都買います」のストーリー(高度経済成長によって破壊されていく京都の町をヒロインが護ろうとする)から、科学発展の暗部や「新たな野蛮」としての人間を描こうとした氏の姿勢を確認することができました。

特論② サブカルチャーから捉える

 岐阜女子大学教授で日本文学研究者の助川幸逸郎先生による講義でした。1回目は『ゴジラ』、2回目は女性アイドルの歴史がテーマでした。特に、1953年に制作されたアメリカ映画『原始怪獣現わる』と日本の『ゴジラ』シリーズにおける怪物の描かれ方(は虫類のように敏捷に動く原始怪獣に対し、ゴジラはタメをつくりながら重々しく移動する)には、崇高(サブライム)なものに対する考え方(地上の支配権は神によって人間に委ねられている、というキリスト教的思想をもたない東洋では、怪獣に―猛獣扱いする西洋とは違い―サブライムを見る)が影響している、というお話が面白かったです。

クロストーク

 最後から2回目の講義は、北條先生、大橋先生、長尾先生、ドゥッペル先生の4人の先生方によるクロストークでした。学生からは時事問題に関する問い(自己責任論や想像力の欠如、「人材」という言葉の是非など)が投げかけられ、それぞれの問いに対し、先生方がそれぞれの専門的視座から答えてくださいました。ひとつの問題を多角的に見る面白さ、大切さを先生方とのやり取りを通して実感できた、密度の濃い100分間でした。

まとめ

 「ジャパノロジー概論」の最後を締めくくってくださったのは、史学科の北條先生です。テーマは「アニメーション(アニマ⇒モノに宿る霊魂を活性化させたもの)とアニミズム(アニマは万物に宿っているという考え方)」。動画としての「アニメーション(アニマを吹き込まれて動く絵画)」を宮崎駿監督と高畑勲監督がどのように捉えたかについて、両監督の作品を比較しながら見ていきました。ヒューマニズムを否定し、自然から人間を見る宮崎監督と、人間の営為を肯定し、人間側から自然を見る高畑監督。2人の考え方は対照的で、宮崎作品の方がよりアニミズム的ではあるけれど、「アニメーション」を身体表現として捉えている点は両作品とも同じである、というお話でした。